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「編曲」の意義(編曲とは何か?) ―東京高判平成14年9月6日(記念樹事件)を素材として

 最近では、DTMや歌声調整ソフトの発達に伴い、自分で楽曲を制作するなど音楽の楽しみ方が増えてきました。なかには、作った曲をYouTube等の動画サイトにアップして楽しむという方もいるかと思います。

 ところで、自分が発表した曲が他者の著作権を侵害していたような場合、トラブルとなりかねません。こうしたトラブルを避けるためには、著作権の侵害が問題となるもののひとつである楽曲の「編曲」について理解していることが役立つでしょう。

 そこで、この記事では、著作権のうち「編曲権」の侵害が問題となった事件について紹介します。この事件は、編曲か否かが争われた曲名から、「記念樹事件」と呼ばれることがあります。この記事が、作曲を始められる方などのトラブルを未然に防ぐ参考になれば幸いです。

 なお、この記事は、編曲について裁判所の判断を紹介することを趣旨とします。「結局、編曲権を侵害したらどうなるの?」という点には特に触れませんのでご注意ください。

 ■ 素材とした判決文 東京高判平成14年9月6日(平成12年(ネ)第1516号)

    ※判決文全文は、裁判所ウェブサイトからご覧いただけます。

<目次>

1 事案の概要

2 争点と当事者の主張

3 裁判所(控訴審)の判断

4 所感

5 注意点

 

1 事案の概要

 楽曲「どこまでも行こう」の作曲者である小林亜星とその著作権者(編曲権者)である有限会社金井音楽出版(以下「Xら」といいます。)が、楽曲「記念樹」の作曲者である服部克久(以下「Y」といいます。)に対して、「記念樹」が「どこまでも行こう」を著作権の侵害であると主張して、損害賠償を求めて1998年(平成10年)に提訴した事件です。なお、以下この記事では、「どこまでも行こう」を「甲曲」、「記念樹」を「乙曲」、両者を合わせて「本件楽曲」と呼ぶこととします。

 第一審(東京地裁)では、Xらは乙曲が甲曲の「複製権」を侵害していると主張しましたが、この主張は認められませんでした。Xらは、これを不服として控訴しましたが、この際、主張の内容を、第一審の「複製権」の侵害から「編曲権」の侵害へと変更して主張しました

事案の概要(イメージ)

 

2 争点と当事者の主張

 本件は、乙曲が甲曲の編曲にあたるか否かが争われたものであり、その判断として、乙曲は甲曲の「表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているか否か」が争われました。

 Xらは、甲曲と乙曲の旋律(メロディー)を曲全体で比較したとき、二次的著作物以外には現実的にあり得ないほどの類似性があるのであり、乙曲を聴くと甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるほどであることから、編曲にあたるのだと主張しました。

 これに対し、Yは、楽曲はメロディー以外にも、和声、リズムなど様々な要素からなるのであり、甲曲と乙曲は、音楽が聴き手の情緒に働きかける最も重要な要因である和声に本質的な違いがあることから、両曲の印象に相違が生じていることなどから、両曲は本質的に異なるのだと主張しました。

 

3 裁判所(控訴審)の判断

 裁判所は、結論として「乙曲が甲曲の編曲にあたる」と判断して、Xの主張を認めました。どのようにこの結論にたどり着いたのか、その判断フローを示すと次の(1)~(3)のようになります。

(1)編曲とは何か

(2)楽曲の「表現上の本質的な特徴の同一性」はどのように判断するのか

(3)本件楽曲へのあてはめ

 以下、これらを詳しく見ていきます。

 

(1)編曲とは何か

 まず、裁判所は、本件の議論の出発点である「編曲とは何か?」についての意義を示しました。著作権法に「編曲」の意味が書いてあればそれに従って判断するところなのですが、あいにく「編曲」の意義(定義)を直接指定する条文はなかったので、このような判断がなされました。

「編曲」とは、既存の著作物である楽曲(以下「原曲」という。)に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物である楽曲を創作する行為をいうものと解するのが相当である。

 なお、裁判所は、音楽用語としての「編曲」と著作権法上の「編曲」とでは、概念が必ずしも一致しないことについても、ここで確認しています。

 こうして「編曲とは何か」ということを示したうえで、次に「じゃあ、『表現上の本質的な特徴の同一性』って何なの?」ということについて検討しています。

 

 (2)楽曲の「表現上の本質的な特徴の同一性」はどのように判断するのか

 判決文を見てみます。

一般に、楽曲の本質的な要素が上記[筆者注:旋律(メロディー)、和声(ハーモニー)、リズム、形式等]のような多様なものを含み、また、それら諸要素が聴く者の情緒に一体的に作用するのであるから、それぞれの楽曲ごとに表現上の本質的な特徴を基礎付ける要素は当然異なるはずである。そうすると、具体的な事案を離れて「表現上の本質的な特徴の同一性」を論ずることは相当でないというべきであり、原曲とされる楽曲において表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだし得るかをまず検討した上、その表現上の本質的な特徴を基礎付ける主要な要素に重点を置きつつ、双方当事者の主張する要素に着目して判断するほかはない

 ここまで、楽曲は諸要素を総合して成立していること、具体的な当事者の主張に着目して判断する必要があると述べています。

もっとも、単旋律だけで表現される楽曲も[あり]、旋律は、例えば浪曲のように単独でも音楽の著作物(楽曲)として成立し得るものである上、旋律自体を改変することなく、これに単に和声を付するだけで、旋律のみから成る原著作物の表現上の本質的な特徴の同一性が失われることは通常考え難いところである。これに対し、和声は、旋律を離れて、それ単独で「楽曲」として一般に認識されているとは解されず、旋律と比較して、著作物性を基礎付ける要素としての独自性が相対的に乏しいことは否定することができない。そして、このことは、打楽器のみによる音楽のような特殊な例を除いて、リズムや形式についても妥当するものと解される。

そうすると、楽曲の本質的な特徴を基礎付ける要素は多様なものであって、その同一性の判断手法を一律に論ずることができないことは前示のとおりであるにせよ、少なくとも旋律を有する通常の楽曲に関する限り、著作権法上の「編曲」の成否の判断において、相対的に重視されるべき要素として主要な地位を占めるのは、旋律であると解するのが相当である。

 そのうえで、旋律(メロディー)は、楽曲の本質をとらえるうえで特に重要であると述べています。

 本判決における重要な説示は、おおむねここまでです。以下ではこれに加えて、裁判所はさらにドイツ著作権法についても言及し、

ドイツ著作権法24条2項が、(…)旋律が原著作物に依拠してこれを感得させることができる新たな音楽の著作物の利用については原著作物の著作者の同意を得ることを要する旨特に規定し、旋律を厳格に保護する法理を明文で定めていることは(…)、立法例の相違を超えて顧慮すべきものを含む。

と述べ、裁判所の判断を裏付けています。

(法律界隈あるある:ドイツの影響うけがち)

 

(3)本件楽曲へのあてはめ

 最後に、これまでの検討で見てきた要素を本件楽曲にあてはめて、乙曲が甲曲の編曲にあたるか否か判断しました。この部分は、判決文原文のなかでそれなりの分量を占めていて、個人的に読んでいて結構面白かったのですが、この記事では要点をかいつまんで述べることとします。(それでも結構長くなってしまったかも。面倒になったらとばしてもらっていいです。)

 

(甲曲の表現上の本質的な特徴について)

甲曲は、(…)旋律に沿って歌唱されることを想定した歌曲を構成する楽曲であり、そのような性格上、おのずと旋律に着目されやすいものということができる。(…)甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、和声や形式といった要素よりは、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあると解するのが相当であ[る。]

したがって、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を検討する上で、まず考慮されるべき甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあるというべきであり、しかも、旋律を検討するに際しても、1フレーズ程度の音型を部分的、断片的に取り上げるのではなく、フレーズA~Dから成る起承転結の組立てというその全体的な構成にこそ主眼が置かれるべきである。

 

(旋律以外の要素の位置付け)

一般に、旋律を有する通常の楽曲において、編曲の成否の判断要素の主要な地位を占めるのは旋律であると解されること、これを甲曲の楽曲としての本質的な特徴という観点から具体的に見ても、その表現上の本質的な特徴が、主として旋律の全体的な構成にあることは上記のとおりであるが、甲曲は和声等を含む総合的な要素から成り立つ楽曲であるから、最終的には、これらの要素を含めた総合的な判断が必要となるというべきである。

 

(旋律の対比)

ごく形式的、機械的な対比手法として、(…)甲曲と乙曲の対応する音の高さの一致する程度を数量的に見ると、(…)乙曲の全128音中92音(約72%)は、これに対応する甲曲の旋律と同じ高さの音が使われていることが理解される。

もとより、楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性が、このような抽象化された数値のみによって計り得るものではないことはいうまでもないが、上記のような形式的、機械的な対比手法によって得られた数字が示す甲曲と乙曲との旋律の音の高さの一致の程度は、旋律の類似例として本件の主張立証中に数多く現れている他のいかなるものと比較しても、格段に高く、むしろ、原曲とその編曲に係るものとして公表されている楽曲と同程度であるということは、看過することのできない一つの事情と解される。

[また、]甲曲と乙曲の旋律は、数量的に見て約72%が音の高さで一致しているにとどまらず、楽曲の旋律全体としての組立ての上で重要な役割を担っている起承転結の連結部及び強拍部が、全フレーズにわたって、基本的に一致しており、その結果、乙曲の[a-b-c-a′]-[a-b-c-a]の構成は、甲曲のフレーズA~Dから成るA-B-C-Aという起承転結の構成を2回繰り返し、反復二部形式に変更したにとどまるといっても過言ではないほど、両者の構成は酷似しているといわざるを得ない。そして、以上の諸要素が相まって、両曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴の同一性が強く基礎付けられるというべきである。

[このように、]甲曲と乙曲は、異なる楽曲間の旋律の類似の程度として、当初から編曲に係るものとして公表された例を除いて、他に類例を見ないほど多くの一致する音を含む(約72%)にとどまらず、楽曲全体の旋律の構成において特に重要な役割を果たすと考えられる各フレーズの最初の3音以上と最後の音及び相対的に強調され重要な役割を果たす強拍部の音が、基本的に全フレーズにわたって一致しており、そのため、楽曲全体の起承転結の構成が酷似する結果となっている。

他方で、両曲の旋律の相違部分として、導音シの有無(…)、上行形か下行形かとの差異(…)等が認められ、このうち、特に導音シの有無の点は、乙曲のみが有する新たな創作的な表現を含むものとして軽視することはできないものの、量的にも、質的にも、上記の共通する旋律の組立てによってもたらされる支配的な印象を上回るものではないというべきである。

 

(和声について)

[乙曲の和声には、]創作性を指摘し得ることが認められる。そして、このような和声の相違が、甲曲と乙曲の曲想に一定の影響を及ぼして[おり、]甲曲の明るく前向きな印象に対し、乙曲が感傷的な思いを生じさせるという曲想の差異をもたらしている一つの要素となっていることが認められる。

そこで、乙曲が上記のような新たな和声表現を備えるものであることから、旋律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を減殺し、ひいてその同一性を損なうこととなるかどうかという観点から更に検討するに、甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあることは前示のとおりであり、他方、乙曲も、大衆的な唱歌に用いられる楽曲としての基本的な性格は甲曲と同じであり、乙曲に接する一般人の受け止め方として、歌唱される旋律が主、伴奏される和声は従という位置付けとなることは否定し難い。これらの点を踏まえると、和声の相違が両曲の曲想に前述したような差異をもたらしているとはいえ、その差異も決定的なものとはいい難く、旋律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を上回り、その同一性を損なうものということはできない。

 

(リズム)

甲曲が2分の2拍子、乙曲が4分の4拍子である(…)が、2分の2拍子の原曲を4分の4拍子に変更する程度のことは、演奏上のバリエーションの範囲内といえる程度の差異にすぎない

 

(形式)

甲曲が4フレーズ1コーラスをA-B-C-Aの起承転結で構成するものであるのに対し、乙曲が、おおむね[a-b-c-a′]-[a-b-c-a]という反復二部形式を採るものであるところ、両者は、むしろ4フレーズの起承転結に係る構成の共通性にこそ顕著な類似性が認められるものであって、これを繰り返して反復二部形式とすることは、編曲又は複製の範囲内にとどまる常とう的な改変にすぎないというべきである

 

(まとめ)

以上のとおり、乙曲は、その一部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むものではあるが、旋律の相当部分は実質的に同一といい得るものである上、旋律全体の組立てに係る構成においても酷似しており、旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に検討しても、甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲に接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである。

 

4 所感

 この事件は、楽曲の類似性の観点から著作権の侵害が問題となりました。実は、このような形で著作権侵害の成否が争われたケースは意外と少なく、特に、「編曲」について裁判所の判断を示したことで、先例的価値は高いとされているようです。

 また、具体的な楽曲へのあてはめも詳細に検討されていることから、楽曲を作成してそれをネットに上げるなど検討している方は、参考までに一度判決文に目を通されておくと、予期せぬトラブルの発生を避けられるかもしれません。

 

(筆者の私見・判決全体について)

 本判決は妥当なものであるように思われました。

 一般的な日本の楽曲であれば、メロディー以外にもドラムやベース、コード進行を担う楽器を入れるなど、複数の要素から成り立つことが通常で、そのどれもが重要です。しかし、楽曲の中で一番目立つのはやはりメロディーであり、これを判断の主としてとらえることは社会通念からも外れたものではないだろうと思います。

 そのうえで、裁判所は、機械的に甲曲と乙曲の音の高さを比較して、その約72%が一致していることから、編曲の蓋然性が高まる旨判示しています。このことに対し、「音楽はそんな形式的なことで分かるものじゃない!」などとの反論があることももちろん理解できます。しかし、私見としては、国の機関として客観的な論証が求められる裁判所の判断としては、抽象的・感覚的な判断が小さいこのような方法を採用する必要性があることを考慮すると、このような判断には十分賛成できます。

 また、筆者もこの記事を執筆するにあたり、甲曲と乙曲それぞれ聴きました。その際、たしかに雰囲気の違いによって「まるで別物」のような第一印象は受けたものの(これがコードの効果なのか?)、落ち着いて集中して聴いていくとメロディーが相当程度似ていることに気付いたので、感覚的にも裁判所の結論に納得できました。

[私見の追記2023/06/01]

 なお、この判決では、メロディーの音の高さの一致率である72%という数値が目立ってしまいますが、この数値を殊更強調すべきではないかなと思います。例えば、この判決を盾にとって、「メロディーの一致率が72%よりも低い」の一点張りで「パクりじゃない!」と主張するのは筋違いだと感じます。逆に、メロディーの一致率が72%を超えたら必ず編曲権の侵害になるかと言ったら、そうではないと思います。裁判所が「それぞれの楽曲ごとに表現上の本質的な特徴を基礎付ける要素は当然異なる」、「楽曲の本質的な特徴を基礎付ける要素は多様なものであって、その同一性の判断手法を一律に論ずることができない」などと判断しているように、まずは具体的な楽曲同士を当事者の主張等に照らして検討し、その判断の一材料としてメロディーの一致率の分析があるという立ち位置なのかなと感じます。

 

(本件楽曲への具体的なあてはめの部分について)

 本件楽曲について相当詳細に分析して比較検討しており、個人的にかなり読みごたえがあり、興味深い内容でした。(先ほど、「かいつまんで」述べると言っておきながら、結局だらだら引用してしまったのはこのせい。)

 譜割りがどうだとか、「きめ細やかな経過和音と分数コード」を多用するとどうなるとか、音楽の知識が詰め込まれていましたね。仮に音楽の知識がなかったとしても、このような知識を踏まえたうえで判決文を書かないといけない裁判所さん、仕事とはいえどうもお疲れ様です、という感じです。

 今回はあまり触れることができなかった、このあてはめについて「詳細に判決文を分析して検討」みたいなことをいずれやってみたいなあ、などとなんとなく思いました。

 

5 注意点

以下の点にご注意ください。

・この記事は、専門家でない一個人の見解に基づいて作成しております。この記事を使用したことにより不利益が生じたとしても、責任を負いかねますのでご了承ください。

・本稿中の判決文、用語等について、わかりやすさのため必ずしも正確とはなっていない場合があります。

 

参考文献

 

小橋馨・別冊ジュリスト231号116頁(著作権判例百選第5版)

武生昌士・別冊ジュリスト242号112頁(著作権判例百選第6版)

茶園成樹・ジュリスト臨時増刊1246号252頁(平成14年度重要判例解説)

「音楽著作権侵害の判断手法について -『パクリ』と『侵害』の微妙な関係」

https://www.kottolaw.com/column/000051.html (2022/07/05最終確認)